かいつまんで読むSF小説傑作選・時間を超えるロマンス編

『ある日どこかで』/リチャード・マシスン

 朝起きて目が覚めたら、あの頃に戻ってないかなぁ…。そんな空想をしたこと、誰にでも一度や二度はあるでしょう。この小説を読んでしまったら、寝る前にマネしてときどきやってしまう、子どものようなアナタを再発見することまちがいなしです。

 一九七一年のある日、主人公である脚本家、リチャード・コリアは、ふらりと立ち寄ったホテルで、そこにひっそりと飾ってある写真の女性に一目惚れ。しかしそれは、八十年も前に活躍した名女優、エリーズのポートレイトだったのです。
 で、そこから彼は、どうにかして過去に、憧れの彼女と一緒に過ごせる時代に行けないものかと試行錯誤を繰り返すこととなります。いかにして過去に行くか、そこがこの小説の一番のミソなわけです。
 自分なりに時間旅行のことを研究してはみます。最新の理論から過去の文献まで。しかしどうやってもうまくはいきません。そりゃあうまく行くはずがないでしょう。
 で、彼は考えます。自分が彼女ともし出会うとしたら、その行き先は、時間は、彼女があのホテルに滞在していたときをおいて他にないと。ということは…。彼は、ホテルに頼み込み、彼女が滞在していたまさにその時の、宿泊者名簿を調べてみます。彼は号泣します。そこには彼の名前がはっきりと書いてあったのです。今は方法がわからないけれど、近い将来、必ず自分はこの宿泊者名簿に名を記すことになる! 彼は自信を深めます。
 彼が最終的にたどりついた時間旅行の方法、それは…。

<もっとも象徴的なシーンがこれだ!>

 ぼくはリチャード・コリア、一八九六年十一月十九日のホテル・デル・コロナードにいる。
 ぼくはリチャード・コリア、一八九六年十一月十九日のホテル・デル・コロナードにいる。
 ぼくはリチャード・コリア、一八九六年十一月十九日のホテル・デル・コロナードにいる。
(リチャードは五十回くり返していた)

 * * *

 今日は十一月十九日、木曜日。
 今日は十一月十九日、木曜日。
(百回くり返していた)

 * * *

 エリーズ・マッケナもいまホテルにいる。
(百回くり返していた)

 * * *

 刻一刻と、ぼくはエリーズに近づいている。
(百回くり返していた)

 * * *

 いまは一八九六年十一月十九日。
(六十一回くり返していた)

 * * *

 午後九時四十七分。変化があった。
 いつ起こったのかは、はっきり憶えていない。いまは一八九六年十一月十九日だ、と書いていた。手首と腕が痛んだ。ぼくは霧のなかにいた。本当に。周囲に霧が発生していたんだ。交響曲のアダージョの部分が聴こえる。幾度もくり返し流していた曲だ。紙の上を鉛筆がはしっていた。まるで鉛筆が勝手に動いているようだ。意識とは無関係に。うっとりと、鉛筆が動くさまを見つめた。
 やがて変化が起きた。光がちらついた。ほかに表現しようがない。目を開いていたのに眠っていた。いや睡眠ではない。別世界に転移していたんだ。音楽がとぎれたかと思うやいなや、すぐさま――本当にあっという間もないくらいすぐに――別の時間域にたどり着いていた。
 一八九六年の世界に。
 来たかと思うとすごい勢いで遠ざかってしまった、瞬きの時間ほどもなかっただろう。
 訳のわからない信じがたい話に聞こえるのはわかっている。さらに、状況を口述する自分の声も聞こえていた。でも、時間転移したんだよ。全身の細胞が――まさにあの時空に――一九七一年ではなく一八九六年の世界にいるのだと感じ取っていた。

(中略)

 過去への転移が長いあいだ持ちこたえられなかったのは、頭につけていたヘッドホンが原因らしい。音楽を愛しすぎていたために、肝心のときにヘッドホンをつけっ放しにしていて過去から引き戻されるはめになったとはな、と考えてがっかりした。

(中略)

 フロックコート、ベスト、シャツ、ネクタイの商標をはずす。理由は二つある。まず最初は、一八九六年に行ったあとでこれらを目にしたくなかったためだ。なぜかは説明できない。ただなにより重要なのは、それを見たくなかったということだ。ひとたび過去に転移できたなら、自分の頭から一九七一年の記憶をすべてはぎ取りたかった。ブーツのなかの印刷さえも削り取った。いかに些細なものであっても、すべてをぶち壊しにしかねない。靴下と下着は着けなかった。当時の身なりをできるだけ忠実に模倣したかったから。
 やがて、すべてが整った。現代のよすがを残すものは、目につくものに限ればぼくの周囲にはなくなった。いままでのように膝の上で書くかわりに、ベッドの枕元で自己暗示の文句を書こう。いざというとき、鉛筆を床に落としかねない。ヘッドホンももう邪魔にならない。すぐにでも転移できる態勢ができた。
 もちろん、頭のなかを別にしてだけれど。過去に移行したとき、うまく対処しなければならないだろう。
 うまくやってみせるさ! 過去にたどり着いたあとも、暗示の文句を書き続けるつもりだ。一八九六年における自分の状態を強化するために。実現できるはずだ――どこから来たのかを忘れてしまうくらい一九七一年から離脱できるだろうし、肉体も魂も完全に一八九六年の住人になり切ってしまうんだ。現代の衣類は脱ぎ捨てて、さらに――
 いけない! あやうく、腕時計を見落とすところだった!
 不手際から動揺していた。動悸が治まるまで、待ったほうがいい。もう見たくないと思っていたベッドサイド・テーブルの抽斗に、腕時計をしまう。電話機をベッドの下に隠し、ベッドサイド・テーブルのランプをクローゼットに収め、白いシーツが気になりそうなのでそれもはずした。
 暗示により十一月十九日に旅立ちたいという気持ちが、違和感なく受け入れられる。なぜなら、今日は実際に十一月十九日だったからで、それを思うといままで以上の満足感がわきあがった。

 * * *

 さて、確認だ。なにか見落としているものが残っているだろうか? これですべてなのか?
 不安が残っている。
 音楽をかけた。
 最後にもう一度あたりを見まわす。この部屋ともお別れだ。
 今日かぎりで。

 彼が、過去に時間旅行するために考えついた究極の方法は、頭の中で強固に過去の世界をイメージすることだったのですねぇ。当時と同じベッドに横たわり、当時の衣服を身にまとって一心不乱にイメージするわけです。こう片づけてしまうと身も蓋もないけど、次第に過去に近づいていくあたりの描写は見事で鬼気迫るものがあります。
 もちろん、過去に行けたからってスムーズにうまく行くはずがありません。かたや名女優、かたやどこの馬の骨ともわからぬ男というわけですから。しかも誰ひとり知り合いもいない世界に来てしまった男。いったいどうやって彼女に近づくのか。現代に置き換えてみれば、アイドルに憧れてその周りをウロウロしてるような話。よしんば同じホテルに宿泊するチャンスがあったとしても、それでどうなるというのでしょう。
 悪く言えば、時代を超えて追いかけていくほどの激しいストーカーの物語と言えなくもないのだけど、この小説に悪い印象を持つ人はまずいないでしょう。それほどに主人公はひたむきなのです。また、彼女が自分を求めているということを、ある理由から知ってしまうというような伏線もきちんと張られていますから。
 過去に行ってからのロマンスももちろんこの小説を魅力的にしています。が、詳しくはここではよすとしましょう。

 この作品は、映画での方が有名かもしれません。熱狂的なファンが多いことで知られる傑作です。ベストテンのTOPには来ないかもしれないけど、心に長く残る映画といった感じ。スーパーマン役で名を馳せた、クリストファー・リーヴがリチャード役をつとめています。エリーズを演じたのは、ジェーン・シーモア。この映画の中で見せた彼女の美しさときたら。映画はかなりコンパクトにまとめられていますが、導入部分とエンディング部分のつなぎ方が見事で、実にいい脚本になっています。ラッキーなことに、DVD化されていますよ。


過去ログ「ヴァーチャル・ガール」

『ある日どこかで』
著/リチャード・マシスン(Richard Matheson)
訳/尾之上浩司
創元推理文庫
ISBN:9784488581022


『ある日どこかで』(DVD)
監督/ジュノー・シュウォーク
出演/ ジェーン・シーモア、クリストファー・リーブ
販売元/UPJ/ジェネオン エンタテインメント
ASIN: B0026P1KEM


1192.be

amazon.co.jp *book